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『存在の大いなる連鎖』
第1講:観念史の研究とは
アーサー?O?ラブジョイ
をもとに
山形浩生が作成
観念史って何?
? 哲学史や思想史とは、似ているけれどちがう。
? ちがいは、扱うものの単位、または粒度にあるんだよ。
? というのも「何とかイズム」「何とか主義」「何とか論」と言われるものっ
て、実はいろんなものの寄せ集めでしかないんだよね。
? しかもその「いろんなもの」は結構決まっていて、何とか主義というのは、
その組み合わせや焼き直しでしかない。
? それを分解すると、各種哲学や主義を構成する「単位観念」みたいなものが
ありそう!
? 観念史はその単位観念に注目する。
たとえば?
? たとえば西洋思想では「キリスト教」とか「神」とかいうのが
出てくる。でもこれは、単位観念なんかじゃない。
? だって「キリスト教」って、まず宗派ごとに言ってること全然
ちがうよね。「神」ってのもちがうよね。そして同じ宗派や教
義の中でも、全然矛盾すること言ってる。でもそれが1つのま
とまった「キリスト教」とか「神」だとされてる。
? その大枠の下にあるものを見て、それがどんな動きを経て、ど
うまとまって現状になったかを見たいよね。
その「単位観念」/一次的観念の例
? 単位観念/一次的観念は、いろんな水準がある:
1. 時代や人に作用する無意識の精神的習慣
2. 唯名論 (具体的なものへの還元)/有機主義 (複雑性重視)
3. 形而上学的な情感に対する弱さ
4. 哲学的意味論
(これだとわかんないよね。次に個別に説明する)
「時代や人に作用する無意識の精神的習慣」
? たとえば、すべての本質は単純なんだ、よって何にでも単純な
解決策があるんだ、と考えてしまう習慣
? 啓蒙主義はこういう発想の権化だよね。
? それは「宇宙や神さまは複雑だけど、人間が扱える範囲は単純なん
だ」という形で出てくることもあった (ポープやジョン?ロック)
? ロマン主義になると、こうした単純さはむしろ眉ツバだとされるよう
になっていた。
「唯名論 (具体的なものへの還元)/有機主
義 (複雑性重視)」
? 唯名論的な動機は、抽象一般概念を、具体事例の羅列に還元し
ようとする。
? プラグマティズム (の一部) はこの権化
? 有機主義的動機
? なんでも複雑だー、単純なものに還元してはいけないー、という一派。
? 要素を切り出してはだめですべては関係性の中にあるんだ、という発
想
形而上学的な情感に対する弱さ
? 哲学や観念は、ある種の感情のツボを押されると弱い。
? わかりにくいと、それが深遠な証拠と思ってみんなひれふす。
? 秘教的なもの——論理の積み重ねより、悟りで真理に到達するような
話が大好き (ヘーゲルとかベルグソンとか!)
? 永遠主義:何とかは不変だ永遠だと言われると、くらっとする
? 一元論:すべては一つ、万物は一体とか、根拠なしにみんな喜ぶよね。
? 主意主義:世界にたった1人で立ち向かう、みたいな話にすぐ流される
? これは哲学や観念の中身とは関係ないけど、その受容において
はきわめて重要! だからこれも観念史の対象になる。
哲学的意味論
? キャッチフレーズや用語は、いろんな意味や連想を持つ。
? その一つの意味のために流行ったものが、やがて別の意味のほ
うが重視されるようになってきたために、まったくちがった意
味合いや影響を持つようになる。
? そういう意味の広がりの影響も考えたいよね。
? ……ただこの講義では、そこまでとらえどころのないものは扱
わず、もっと定義しやすい概念を扱おう。
観念史の研究は必然的に学際的になる
? ある観念が、いろんな分野、いろんな時代に登場するというのが醍
醐味。それを調べるなら、当然学際的になるしかない。
? 修景?造園での流行 (幾何学庭園からもっと自然な庭園へ)が、宇宙
論や哲学などにもつながっているのがその例
? それは学部タコツボ化を防ぐのにも貢献できるかも。
? 特に、観念の最も優れた表現は哲学ではなく文学、それも二流文学
なのだ (だから文学部の学生は、二流作家を研究しろと言われても、
あまりブーたれないでね)
課題やリスク
? 学際的ということは、各分野については半可通になりかねない
? ある観念に注目するのは、その時代や思想のごく一部に注目するこ
と。それがすべてだと思わないで!
? 専門特化のため、こうした学際アプローチを嫌う人もいる
? 過去の観念やその解釈は、いまの基準で見れば異様で明らかにまち
がっている。でも、そのまちがいかたにも (いやそこにこそ) 観念の
作用がある。だからそれで投げ出すようではダメ。

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