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第 2 幕が開く前に
葬式に見るコミュニティーの変化 または、 ご先祖様というコミュニティーとの 付き合い方
「凡夫というは、無明 ( むみょう ) 煩悩 ( ぼんのう ) われらが身にみちみちて、 欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、 臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河 ( すいかにが ) のたとえにあらわれたり。」 親鸞『一念多念文意』
葬式のシーケンス 臨終 連絡 ( 寺院と葬儀社) 死亡退院 ( 死亡届) ご遺体の搬送 帰宅 安置 枕飾り 枕経 ( 臨終勤行 ) スケージュール相談 見積もり 湯潅 通夜準備 通夜法要 最後の一夜 葬儀準備 葬儀?告別式 出棺?火葬? 収骨 後飾り、遺骨安置 還骨法要 初七日
初七日と中陰 四十九日(満中陰)をもって、輪廻する次の世界が決まる。 六道輪廻:地獄道?餓鬼道?畜生道?修羅道?人道?天道
阎魔大王は5?七日(35日)目に现れて死者の次の行く先を决める。
年忌(いわゆる法事) 1周忌(翌年)
法事: 三回忌(2年目=翌々年)
以降 7,13,17,23,27,33,50,100回忌
以上葬式とそれに続く法事の流れでした。
葬式における諸問題 家に帰らない 家で死ねないとは野垂れ死にである。 葬式はコミュニティーとの最大のつながりである。 村八分(共同絶交)における葬式の意味 こっそりと葬式をする コミュニティーからの積極的な遮絶 戒名料が高い そもそも、葬式に金がかかりすぎるという件
墓にまつわる諸問題 墓は生きている私にとって何なのか
亭主と一绪の墓に入りたくないというメンタリティ
墓参り
墓を廃弃する时代

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第2幕の开く前に

Editor's Notes

  • #3: 85歳にならないと、気がつかないことなのだろう。 「凡夫というは、無明(むみょう)煩悩(ぼんのう)われらが身にみちみちて、  欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、  臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと水火二河(すいかにが)  のたとえにあらわれたり。」 OpenOvalの前文は、これだな。(Q)
  • #4: ■あぁ、わしが閻魔じゃ。さっきからこぉして茶漬けを食てるとこじゃがな 閻魔さんが死後の世界の道先案内人でございます。 ただ、閻魔さんのお世話になるためには唯一つだけの条件がございます。 それは、「死ぬ」ということであります。なに、そんなに難しいことではありません。人類は一生のうちに死ぬ確率は100%でございますので、誰しも、閻魔さんのお世話になるわけであります。 閻魔さんのお世話にならんで、ショートカットで行かれるとしても、いずれにしても、「あの世」というコミュニティーに参らせていただくのが、通り相場になっているのでございます。
  • #5: 死亡届を提出してください。<手続きは葬儀社がおこなう> 《受付窓口》 死亡地、死亡者の本籍地または届出人の所在地の市役所?支所 《受付時間》?1年中24時間受付けます。 《提出書類》 死亡届(届書の右半分は死亡診断書(死体検案書)ですので、事前に医師に記載していただきます。なお、届書は病院に備え付けてあります) 《留意事項》  ?死亡届を提出することで、埋火葬許可証を発行します(あらかじめ火葬の予約が必要)ので、届出人の印鑑を持参のうえ届出してください。 ?死亡者が国民健康保険、各種医療制度、介護保険の資格者、年金受給者である場合は、住所地の市役所、所轄の社会保険事務所で資格喪失届を提出してください。
  • #6: 日本では、十王信仰が持ち込まれた事で他界についての情報が飛躍的に増えた。旧来は『古事記』に見られるあいまいな黄泉国の他界観で、漠然と死後ただ行く世界だった。 それに対し、死した後の世界を詳細に定義付けた地獄の他界観は道教と儒教の影響を色濃く受けた、人一人一人に対し厳しいものであった。しかし、末法思想が流行った当時は他界観がクローズアップされ、明確な情報をもった仏教的他界である地獄が広く受け入れられる結果となったのは自然だった。 仏教の世界観を十界とよぶ。つまり、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天の六道と、声聞、縁覚、菩薩、仏の四聖と呼ばれる状態
  • #7: 「天国への道中で7日ごとにほとけさまたちの面接がある」と七日経の解説ページで述べましたが、 十三仏という仏教の考え方で、七日経の初七日から33回忌までは、毎回違うほとけさまと出会うとされています。 そして、これにあわせて法事を行うことで、亡くなった方の魂がより清められ、ほとけさま達との出会いもうまくいくと考えられているのです。(曹洞宗のある寺院)
  • #8: 直葬、じかびやきと称される弔い方。 葬儀の経済学 僧侶の収入 葬儀場の経費決算 葬儀にかかる人数 見えている人たち 4名 仏花、霊柩車運転、ガードマン、場所代。
  • #10: http://blog.tatsuru.com/2010/10/28_1334.php 「死者が私のこのふるまいを見たら、どう思うだろう」という問いがことあるごとに回帰して、そこにいない死者の判断をおのれの行動の規矩(きく:考えや行動の規準とするもの。手本。規則。)とする人にとって、死者は「存在しないという仕方で存在する」。それどころかしばしば死者は「生きているときよりもさらに生きている」。 死者をそのように遇すること、それが服喪儀礼である。 この「存在しないもの、遠来のものからの声に耳を傾けることができる」能力が人間の人間性を基礎づけている。人は死んだ人とともに生を過ごしている
  • #11: 100年前のご先祖コミュニティーと付き合いが出来ることは、100年後の子孫たちのコミュニティーに気持ちを通わすことなのです。 100年前のご先祖様との付き合いのできない人は、100年先の子供たちの事を思い至ることは出来ない。 「きみと好きな人が100年続きますように。」とは一青窈が「ハナミズキ」という歌にこめた911へのおもいであります。 たかだか前後200年の時間の中に私という生があることを感じて生きて行きたいものだと思う次第であります
  • #13: 善行の報いは本来自分に還るはずだが、大乗仏教においては一切皆空であるから、報いを他に転回することが可能となる。善行の結果を人々のためになるよう期待し、それを果すのを?衆生回向?といい。いわば、自分自身の積み重ねた善根功徳を相手にふりむけて与えることを回向という。 阿弥陀如来来迎図におけるコミュニティーの表現。死んでも皆がいるから大丈夫。?死後のコミュニティ 死後のコミュニティーからの回向で、「生かされている」私を感じるのが、大乗仏教的人生観ではなかろうか。