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GIL (Growth Innovation and Leadership) サミット
基調講演
「デジタル革命の社会的インパクトについて」
マカイラ代表 藤井宏一郎
2017.6.8
Society 5.0、第4次産業革命とは 1
消費者として:プライバシーは害されれるが基本的には満ち足りる 2
人はモノを所有せず、すべてがリースや課金モデルになる 2
生産者として:労働のAIによる代替 3
Winner Takes All型のプラットフォーム経済でローカル商圏相手のビジネスは敗れ去る 3
しかし単純に仕事がなくなるわけではない。(シェアリングエコノミー) 4
マイクロアントレプレナー時代の光と影:gig economy(日雇い経済) の進展 4
どういう仕事が、AIで代替されず日雇い労働にもならないのか 5
「生身の人とのふれあい」が人の心を動かす 6
「生身の人が責任を取ること」が人を納得させる 6
結局人間は、バリューと責任のアンカーポイントでしかない 7
政府や規制について:データ駆動型法執行 7
シェアリングサービスが行政サービスや行政監督を代替する 8
より柔軟な民主主義 8
プライバシー:政府によるMass Surveillance (監視社会) 9
逃げられないくらいに便利な世界でお金もなく生きていくということ 9
Society 5.0、第4次産業革命とは
まず、デジタル革命の大きなポイントをおさらいしたいと思います。デジタル革命とは、い
わゆる第4次産業革命、ソサエティ5.0の到達、ですが、これはざっくりいうと、データ
の取得可能性が世界のあらゆる領域に及び、「ウェブ上の世界だけでなく、リアルな世界が
より世界が把捉可能でコントローラブル(制御可能)になる」ということです。
ざっくりいうと、センサーが世界中からリアルデータを取ってきて、AIがそれを分析して判
断を下しまたは補助し、それに基づきロボットや新たな配送流通システムといった、いわゆ
るアクチュエーターを通じて物理環境を動かす、というもので、「サイバーフィジカルシス
テム」ともいいます。センサー+AI+アクチュエーター、ということで、人間は世界に対し
て「魔法の目、魔法の頭、魔法の手」の3つを手にすることになります。
そういう世界で人の生活が、消費者として、労働者として、市民として、どのように変わっ
ていくかを、すこし俯瞰して10分ほどでお話ししてみたいと思います。
消費者として:プライバシーは害されれるが基本的には満ち足りる
まず、財やサービスを消費する消費者としては、世界は「基本的には」、より便利に、より
快適になるだけだと思います。ここでのキーワードは、パーソナライゼーション、カスタマ
イゼーションであり、ロングテールであり、パーティシペーションだと思います。
マスカスタマイゼーションにより、あなたに合った特注品をより安価に手軽に生産すること
ができる。ロングテールにより、あなた一人しか欲しがらない唯一のものを地の果てからで
も取ってこれる。そういう世界では、生産活動に消費者が自分の好みをより積極的に訴えか
けていく形の、パーティシパトリーな生産?消費関係が進行するはずです。
もちろん、このようなパーソナライゼーションの過程の中で、消費活動はすべてデータを取
られていくようになるので、その点ではプライバシーは棄損されます。しかし、現時点で
グーグルやフェイスブックを使ったりクッキーでデータを取られてもプライバシーの問題に
頓着しない人が多いように、この消費者と企業の関係では、多くの人にとっては「慣れ」の
問題の範疇である可能性が高いと思います。
ただし、巨大プラットフォーム企業によるデータの囲い込みが企業間の公正な競争やイノ
ベーションの阻害要因になったり、本当にプラットフォームから足抜けしたい個人がそうで
きなくなるのは困るので、個人のデータポータビリティやデータコントロール権は重要です
し、忘れられる権利のようなものも、さらに議論されていくことになると思います。
人はモノを所有せず、すべてがリースや課金モデルになる
「モノのサービス化」という言葉もみなさんは馴染みかと思いますが、センサー等によっ
て、一度売ったものの利用状況をずっとトラッキングできるようになると、基本的にモノを
売る商売は、売り切り型のビジネスモデルから、「トラッキング?点検?アップグレード」
といった課金型モデルに転換していきます。いわゆる「インクジェットプリンター型ビジネ
ス」です。カラーコピー機は使う限り純正のインクをメーカーから買い続ける羽目になる。
これを消費者の側から見ると、「所有する」ということが少なくなるということです。極端
な話、すべての家電も文房具もIT機器も自動車も全部同じメーカーの相互接続可能なものを
交わされて、選ぶ余地がなくなる。下手したら心臓に埋め込むペースメーカーや義足のよう
な体の部品までも、コネクテッドなリースモデルを免れなくなるかもしれない。来月の料金
を払わないとあなたの心臓を止めますとかいう話が冗談でなくなるかもしれません。
そういう極端な場合を除いて、音楽のストリーミングを若者が受け入れていったように、課
金モデルは基本的に便利だし、これにも消費者は慣れていくと思います。
逆に、少数の意識が高い消費者の間では、これは自分のモノだ、と、売り主との関係を切っ
て何かを完全所有する、ということが贅沢であって、かっこいいこと、あるいはカウンター
カルチャー的な意味合いを帯びる可能性もあると思います。
プライバシーの問題も同じで、エコノミスト誌の「2050年の技術」という本で、「プライ
バシーは富者の贅沢になる」と書いてありましたが、実際に、コネクテッドな世界を脱し
て、モノを所有して誰にも邪魔されずに静謐なプライバシーの中にいきるというのは、
1960年代のカウンターカルチャーの時代に、大量消費社会を忌避してコミューンで手作り
型共同生活を送ろうとした若者たちのように、一種のアンチテーゼとしての価値を持つこと
になるかもしれません。
生産者として:労働のAIによる代替
一方、生産者としては、よく言われるように、もっとも大きな変化は、人間の労働の大半が
機械(AI)に代替されるということです。
工場労働者のようなブルーカラーの仕事だけでなくて、会計士や弁護士の仕事といった、定
型的なデータ解析やフォーマット化された知的アウトプットが時間の多くを占める労働も、
定型的な部分が消えるので、需要が減る可能性があります。企画系の仕事など、人間が行う
需要が生産プロセスの上流に上っていくので、同じ会計士や弁護士でも、そういう仕事は残
るか増える可能性はあります。
ただある程度、複雑な仕事でも、「パターン認識をして、分析して、物理的または知的アウ
トプットを出す」というだけの仕事であれば、これまではロボットには無理と思われていた
もの(たとえば部屋の片づけやアイロンがけなど)であっても、今後はなくなっていくで
しょう。
Winner Takes All型のプラットフォーム経済でローカル商圏相手のビジ
ネスは敗れ去る
第四次産業革命の労働者にとってのもう一つの大きなリスクは、小さなローカルマーケット
を相手にした小規模ビジネスが消えていく可能性があります。私の住んでいる街でも本屋が
無くなりました。街の商店街が郊外の大型店舗に取て替わられたように、今度は大型店舗が
アマゾンや楽天のような大型プラットフォーム企業に取って変わられます。
このようなプラットフォームエコノミーは、基本的にwinner takes all、強者一人勝ちの経済
です。地理空間による参入障壁がなくなることにより、より多くのデータ収集プラット
フォームと配送などのオペレーションプラットフォームを握った企業がグローバルドミナン
トになって行くでしょう。この中で、今まで勤めていた会社が無くなって失業する人が増え
ていく可能性はあります。グローバルオフショアリングも、基本的に同じ構造の問題と言え
ます。
またこのWinner Takes All 型の社会は、プラットフォームという資産を持った人間に富が集
中するので、貧富の差は拡大していくことが予想されます。
先ほどのAIによる人間の労働の代替の問題とも絡みますが、戦後何十年と続いてきた、労働
生産性の向上と雇用の増加の連動は、2000年代になってかい離するようになり、テクノロ
ジーにより生産性が向上しても、それが雇用に結びつかない現象が生じてきています。これ
は大きな貧富の差につながる可能性があり、既にIT長者と非正規労働者の社会に取返しが着
かないほど大きな差が生まれつつある米国で現実となってきています。
社会政策としては、イノベーションを進めつつも、再分配政策をきちんとしていくことが必
要です。
しかし単純に仕事がなくなるわけではない。(シェアリングエコノ
ミー)
しかし、プラットフォーム企業による生産販売チェーンの再編により、単純にあらゆるタイ
プの仕事がなくなるかというと、そうでもないかも知れません。一つの面白い可能性はシェ
アリングエコノミーの進展です。
第4次産業革命の特徴として、「よりきめ細やかに管理可能な世界になる」ということがあ
ります。これは、別の言い方をすると、世界にあるあぶれた、遊休の資産や人材を見つけて
特定し、つないで行くことが、より簡単になるということです。これが、今話題の「シェア
リングエコノミー」の本質です。Airbnb で自宅の空き部屋が宿泊ビジネスになり、Uber で
自家用車と空き時間が交通ビジネスになるように、今までマネタイズ出来なかった資産や人
材がマネタイズ出来るようになるので、その意味で、人が個人として稼ぐチャンスは増えま
す。つまり、従来のように正社員として雇用されるのではなくて、世の中の個人が自分のス
キルや資産を小分けに売っていく、マイクロアントレプレナーの時代になって行くとも言え
ます。
今、政府で働き方改革が叫ばれていますが、残業規制のような話ばかりではなく、このよう
な「第4次産業革命のもと」での働き方を考える必要があると思います。
マイクロアントレプレナー時代の光と影:gig economy(日雇い経済)
の進展
このマイクロアントレプレナーの時代には、光と影があります。光は、先ほど述べたよう
に、スキルや遊休資産を持った人間にとっては、企業などに拘束されずに才覚次第でいくら
でも自由に稼げ、時間も自由に使えるようになるということです。
しかし、スキルや資産を持たない人にとっては、下手すると、正社員としての地位を失い、
派遣社員の派遣会社の代わりにクラウドソーシングプラットフォームに依存するだけの、単
なる保護されない労働者、フリーランサーになってしまう可能性があります。現在は、バブ
ルのころと同じく再び「フリーランス」がポジティブにとらえられる時代ですが、この点は
注意する必要があるでしょう。より能動的に自分のスキルを活かすチャンスを探していく人
にとっては、まさに「マイクロアントレプレナーの時代」ですが、受動的な仕事の仕方をす
る人にとっては、「不安定な日雇い労働の時代」が来ることになります。
しかも、Uber のドライバーが最終的には自動運転車に代替されたり、クラウドソーシング
プラットフォームで翻訳の仕事やデータ入力の仕事を得ている人たちは、最初はまずグロー
バルオフショアリングで海外の安い労働に代替され、最終的にはAIで代替される可能性が高
いです。マイクロアントレプレナーの時代の、このような影の部分をきちんと認識しておく
必要があると思います。
どういう仕事が、AIで代替されず日雇い労働にもならないのか
では、どういう仕事が、AIで代替されず、プラットフォーム企業に隷属しないのでしょう
か。
AIに代替できない活動として、より人間的で創作的な仕事、たとえば「クリエイティブ、マ
ネジメント、ホスピタリティ」などが言われます。これは「他の活動よりも複雑な活動」と
いうことではありません。複雑さだけであれば、AIは今後どのような人間をもしのぐ複雑な
判断を行うことができるようになるでしょう。むしろこれらは、「他者に心理的影響力をど
れだけ及ぼすことが出来る仕事。つまり、説得、交渉や感動を担う仕事」と考えられます。
「人間の優位は、正しい問いを発すること、ニーズをつかんでイノベーションすること。枠
をはみ出した考えが出来ること」ということも言われますが、この「どっちの方が頭がいい
か」問題は、「いわゆるシンギュラリティ」の先の世界では、定義上AIが勝つことになって
いるので、もしかしたら絶対に人間優位ではないかもしれません。当面はAIと人間のバ
リュー提供のいたちごっこが続くと思います。
結局より大きな問題は、「どれだけ複雑か」でなくて、「何が人を動かすのか」になりま
す。複雑さへのチャレンジにおいては、最終的に人間はAIに太刀打ちできなくなると思いま
す。より重要なのは、複雑さではなくて、人を動かすバリューの方です。
すべての経済活動は、人が人を動かすことで成り立ちます。ものやサービスといったバ
リュー提供する人がいて、それを欲しがって買う人がいる。「人を動かすバリューであっ
て、AIが提供できないもの」を探し続けることになります。
「生身の人とのふれあい」が人の心を動かす
「何が人を動かすのか」、という問いについては、おそらく二つの方向性があって、一つが
①感動を与える仕事、もう一つが②説得や交渉、納得を担う仕事。
前者の感動については、人はなぜか生身の人間が与えるモノやサービスに一定のバリューを
見出す場合があるようです。なぜそうなのか、はきちんとした研究が必要だと思いますが、
実際、そのような場面は現在の消費生活でも多く見られます。たとえばCDの音質がどんな
によくなって音楽配信がどんなに便利になっても、逆に人がロックフェスに行くように。
なお余談になりますが、「リアル」か「リアルでないか」が重要になる場面としては、今
後、VRやARが普及していく中で、バーチャルな体験とリアルな体験の価値の差別化がどの
ように進んでいくのかも、消費者選好の分析という意味では、非常に興味深いテーマになっ
ていくと思います。
先ほど、シェアリングエコノミーの光と影の話をしましたが、シェアリングエコノミーにお
いてAIを凌いで生き延びる領域も、おそらく個性的なホスピタリティ重視の宿泊や、人との
実際の触れ合いが期待できるお料理教室などのスキルシェアであることが予想されます。
パーソナルな質感や感情的価値が重視されるP2P領域において、従来では採算ベースに乗ら
なかったロングテールの個別体験や製品(作品)が流通し、市場を形成することになると思
います。生産農家のパーソナルなストーリーを伴う産地直送なども同様です。
極端な例ですが、先日、認知症のご老人たちがテーブルの注文取りを行う「注文を忘れる料
理店」というボランタリーな試みがメディアで紹介されていました。機能性だけ求めるな
ら、絶対に間違えないし忘れないAIに任せた方がよいに決まっていますが、こういう試みが
注目を浴びるのも、人が「人間らしい何か」を求めているからではないかと思います。
なぜ「生身の人とのふれあい」が人を動かすのか、その「人間らしい何か」の正体が正確に
は何か、はここできちんと言語化することができませんが、おそらく「人とは何か」「人が
求める価値観とは何か」という究極的な問いになると思います。
ちなみに、最終的に「生身の人間」とは何か、何を「生身の体験」として認識するか、とい
うことも、バイオ技術やVR、ブレイン?マシーンインターフェイスなどの発展によって変
わってくるかもしれませんが、この問題はここでは割愛します。
「生身の人が責任を取ること」が人を納得させる
もう一つの、②説得や交渉、納得を担う仕事、ですが、これは別の言い方をすると、最終的
には、「生身の人間が責任を取ること」が人を納得させるということではないかと思いま
す。ロボット上司やロボットセールスマンに指導や交渉をされて、納得して自分の身を委ね
ようとか財産を委ねようと思う人は少ないでしょう。AIがマネジメント上の複雑な判断を出
来るかということと、そういうAIロボット上司の判断に自分のキャリアを委ねて人がついて
行こうと思うかというのは、別の問題です。
結局人間は、バリューと責任のアンカーポイントでしかない
結局問題は、「人間じゃなくてはダメだ」、とどの時点で人が思うか、です。今のようにポ
ジティブな話について「ここは人間じゃなくてはダメだ」と思う線引きがあると同様に、ネ
ガティブな事象についても、影響を受ける者や潜在的被害者として「ここは人間が責任を取
らなくてはダメだ」「ここは人間が謝罪しなくてはダメだ」と思うという場面があります。
法技術的には、ロボットを権利主体にして、損賠賠償責任を負わせたりすることもできます
が、人間でなくては納得しない場面というのが出てくるのです。たとえば、自動運転車が運
転していた車が事故を起こした場合に、これはロボットの責任ですということにして、中で
居眠りしていた人間を不問に付してもよいのかというような問題です。
その線はおそらく流動的です。
結局、人間はバリューと責任が社会に流出する源、バリューと責任のアンカーポイントでし
かない、ということです。そして、どういう場合に「それは人間でなくてはダメだ」と思う
かは、おそらくロボットと人間の機能性の差からはだんだん判断が出来なくなっていき、人
間が個人の感情として、または社会の合意の総和として「これは人間だからこそ意味があ
る」と思うかによります。人間には意味的価値しか残らず、機能的価値はすべて機械が代替
します。
そして意味的価値は恣意的です。マルセルデュシャンの作品「泉」において、ただの便器が
「芸術作品である」との意味づけを与えた瞬間に芸術作品に変わったように。「これは人間
であることに意味がある」と人間が意味づけを与えたもののみが、人間にとって意味があ
る、という一種のトートロジー的な価値追求が行われていくと思います。
政府や規制について:データ駆動型法執行
経済取引の話から少し刑法の世界に入っていったので、このまま少し、市民社会における第
4次産業革命の影響について話します。
第4次産業革命とは、「世界の把握とコントロールがよりきめ細かくできるようになるこ
と」ですから、本来はそれは企業と人との関係だけでなくて、政府と人との関係においても
実現できるはずです。そこに、「データ駆動型行政」の可能性が浮かび上がります。
人が何かの行動をするとき、今の行政の在り方では、一定の値を超えたらいきなり罰則が
あったり、がくんと課税されたり、補助金が出たり出なかったりします。
ところが、ウェアラブルやモバイルデバイス、IoTにより人の行動が常に具体的に把握でき
るようになると、よりきめ細やかに課税したり課金や補助金で人の行動をコントロールでき
るようになります。たとえば、空気を汚している工場に、その汚染物質のレベルに応じてよ
り細かく課税したり補助金を出したりして、誘導する。たとえば、車を相乗りせずに一人で
運転している人には、より高い高速道路料金を課すことにより、排気ガスの排出を減らす方
向に誘導するなどです。Fintechの進展により、人の経済活動もずっと透明になるので、課
税ベースの補足もより容易になります。そんなことも出来るようになると思われます。
これは逆にいうと、法執行に全く遊びやあいまいさがない社会、多くの犯罪が全て可視化さ
れるだけでなく、法律の執行は効率化するが、あいまいさがなくなる社会です。大岡裁きの
ようなものが一切ない社会、これがいいか悪いか、は両面あると思います。
シェアリングサービスが行政サービスや行政監督を代替する
もう一つ、面白い話として、公共交通などの行政サービスや行政の監視監督機能が、民間の
プラットフォーム事業者、とくにNPO型事業者を含むシェアリングエコノミー事業者に代
替される可能性もあると思います。
利用者のレビューシステムや社会の監視の目が事業者の行動に行き届くようになると、民間
事業者とユーザー間の網の目のような相互監視が、行政の監視機能の一部を代替していく可
能性があります。
また、たとえばウーバーが公共交通機関を一部代替するように、第4次産業革命型プラット
フォームの普及により、現在、行政が提供している公共サービス?の一部は、民間でも同様の
確実性や安全性をもって提供できるようになり、公共サービスが民間サービスと併用または
代替されていくかもしれません。
サービス提供者と利用者の信用情報がプラットフォーム上に蓄積されれば、レーティングシ
ステム等により利用者やプラットフォーム自身による多元的監視が可能となり、悪質なサー
ビス提供者が市場から駆逐されることで監督官庁は業法違反業者の摘発と管理監督から解放
されます。
このような信用情報の蓄積と流通にはブロックチェーンが使われることでしょう。シェアリ
ングサービスへのブロックチェーン技術の導入が進展すれば、プラットフォーマーによる中
央集権的な取引条件の管理は行われず、ユーザーとサービス提供者が直接つながるようにも
なります。
より柔軟な民主主義
人々の活動をよりタイムリーにきめ細かく把握できるようになるという意味では、政府が
人々の行動をコントロールしようとする場合だけでなくて、政府が人々のニーズや思いを把
握する場合にも同じになります。
すると、四年に一回の選挙で国会議員を選んであとはすべてを任さざるを得ない間接民主主
義から、より柔軟に直接民主主義の要素を織り込んだ、いわゆる「液体民主主義」と呼ばれ
るような形態も現実性を帯びてくるかもしれません。必要に応じて、ネットを通じた直接投
票を行ったり、特定の問題について自分の投票権を自分が信頼する人に委ねたりという、よ
り柔軟な民主主義が可能になるわけです。
また、政策形成のためのデータ自体がより豊富になるので、今のようにエイヤで政策判断を
するのではなくて、より科学的な政策判断が可能になっていくことと思われます。
プライバシー:政府によるMass Surveillance (監視社会)
しかし、政府がそこまで個人の行動を把握することについて、危険はないのでしょうか。
実は、私が第4次産業革命社会でもっとも危険だと思っている点は、AI搭載ロボットの人間
に対する反乱などではなくて、この政府による市民の過剰監視、すなわち mass
surveillance 社会です。(もう一つは、貧富の差の拡大です)。
この監視社会はエドワード?スノーデンの告発により、NSAがすでにアメリカで一部実現
していることがほぼ明らかになっていますが、第4次産業革命時代の mass surveillance
は、政府が本気でやろうと思ったらその非ではありません。あなたが毎日何時にトイレに
行って、何線に乗って何時にどこの職場に行っているかが、全部トラッキングできてしま
う。
今話題の事務次官が、ちょっと政権に批判的なことを言おうとしたら、出会い系バーに行っ
ていた過去を政権にばらされてメディアにばらまかれてしまった。今後の世界は、これが事
務次官のような要人でなくて、誰にでも起こりうる可能性がある世界になります。
特に、今話題の共謀罪法案が、もし仮に今、一般人によるテロと無関係の犯罪の準備行為を
政府の捜査を可能とする、と批判されているとおりだった場合は、第4次産業革命後の日本
は、下手にIoTが発達しているだけに、世界に類を見ない危険な監視国家になる可能性すら
あります。今の共謀罪法案は、そういう目からも見るべきだと思います。
逃げられないくらいに便利な世界でお金もなく生きていくということ
以上のように、このように第4次産業革命、Society 5.0には光と影の両方があります。
世の中がものすごく便利になって、ほしいものがカスタマイズされた形でいつでも手に入る
ようになります。その代わりにプライバシーはなくなり、人は常にネットワークにつながれ
ているような状態になります。
現在ある多くの企業や仕事はなくなり、巨大なプラットフォーム型企業に下請けやフリーラ
ンサーのような形で組み込まれるか、AIによって仕事を奪われることになるでしょう。スキ
ルとやる気を持つ能動的な人にとっては、起業や会社に縛られない自由な生き方がしやすく
なり、よい意味でのマイクロアントレプレナーの時代が来ますが、スキルを持たない受け身
の人にとっては、保護されない日雇い経済が出現する可能性があります。貧富の差は、ほっ
ておけば絶対に拡大して社会が不安定化します。その意味でセーフティネットや再分配政策
が今後非常に大事になります。
AIが人の仕事を奪うのは明らかです。残っていくのはクリエイティブ?マネジメント?ホス
ピタリティといった、人間の説得や交渉や感動や納得を担う仕事ですが、最終的にロボット
と人間に機能的差異がなくなった暁には「人間がやることに価値がある」と消費者や社会が
思う仕事が人間に残る、としか言えないかもしれません。
政府との関係では、データ駆動型の行政、すなわちデータをフル活用した政策立案や法執
行、すなわち実際の人の行動を細かく把握しながら税金や補助金、課金の額をコントロール
することが可能となる可能性があります。シェアリングエコノミー型プラットフォームが行
政サービスや行政の監視機能を一部代替する場面も出てくると思います。直接民主主義と間
接民主主義を組み合わせた液体民主主義のようなものが出現するかもしれません。
一言でいうと、新しく来る社会は、誰も逃げられず、隠れられない、すべてが監視されてお
互いに丸裸にされている、でもそれでいて誰もが参加可能で何でも手に入る、自由で便利な
社会です。その代わり、生産性が向上しても経済成長は保障されず、富は資本を持つものに
集約するので、個人にお金はないかもしれません。
社会から隠れてリスキーな冒険を一人で歩むという、一匹狼型の精神的自由は少なくなりま
す。自由と尊厳のない、しかし恐ろしく便利な土地で、ヒリヒリした逃走と闘争を続けるの
が人間になるのかもしれません。そんな中で、新しい形のカウンターカルチャーも生まれる
でしょう。そんな未来の「ロックな生き方」とは、もしかしたら、匿名かつオフネットワー
クで、人と生身でつながることかもしれません。あるいはマイクロアントレプレナーとして
自由にネットワーク社会を泳ぎ回り、前の世代が思いもよらなかった形で自己実現を図って
いく世界かもしれません。
そんな社会の到来を、不安と期待を込めながら楽しみに待っています。
以上

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