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「ドラクエ」時代から振り返る,ゲームメーカー広報?宣伝業務の歴史 DiGRA JAPANゲームメディアSIG代表 鴫原 盛之
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ゲームメディア厂颈驳発表
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ゲームメディアSIG 第10回研究会 「ドラクエ」時代から振り返る、 ゲームメーカー広報?宣伝業務の歴史 2018年9月1日 作成:DiGRA JAPANゲームメディアSIG代表 鴫原 盛之
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ゲームメディアSIGとは 下記のリンクより、過去の研究会資料、動画を見ることができます。 ? DiGRA JAPANの狠狠撸
Share /DiGRA_JAPAN/presentations ? YouTubeのDiGRA JAPAN CHANNEL https://www.youtube.com/user/digrajapan これまでゲーム産業、文化の発展に貢献してきた、ゲームメディアに 関する歴史や今後の在り方を議論し、論文化を目指すSIGです。 当初はDiGRA JAPANの公開講座、および研究会の一環として2009年より 活動を始め、2014年より正式にSIGとなりました。
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登壇者紹介 ●小野憲史 Kenji Ono ゲームジャーナリスト、NPO法人IGDA日本名誉理事?事務局長。「ゲーム批評」(マイ クロマガジン社)編集長などを経て現職。ウェブニュース媒体を中心に取材記事などを寄稿 しており、E3?GDCなど海外取材も多数経験。「小野憲史のゲーム時評」(まんたんウェ ブ)などのコラム連載や、教育機関などでの授業?講演もこなす。東京ネットウェイブ非常 勤講師。主な著書?編著に「ゲームクリエイターが知る97のこと(2)」(オライリージャ パン)などがある。 ●鴫原盛之
Morihiro Shigihara フリーライター。1993年に「月刊ゲーメスト」(新声社)で攻略ライターとしてデビュー。 その後、ゲームセンター店長やメーカー営業などの職を経て、2004年よりフリーライターに。 これまでにゲーム関連?攻略書籍を多数執筆し、近年は一橋大学などでゲーム史のオーラル ヒストリー収集事業に協力している。主な著書は「ファミダス ファミコン裏技編」「ゲーム 職人第1集」(共にマイクロマガジン社)、「ビジネスを変える『ゲームニクス』」(共 著:日経BP)など。2014年より日本デジタルゲーム学会ゲームメディアSIG代表。
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本研究会の目的 ゲーム業界黎明期のゲームメーカーには、広報部や宣伝課な ど、今では当たり前に存在する広報担当部署が存在しません でした。 また、現在のようにゲームメディアに対して攻略やレビュー、 インタビューなどの記事に対して、事前に内容をチェックす る慣例もありませんでした。 では、どのようにしてゲームメーカーに広報部署が誕生し、 広報?宣伝業務のノウハウが確立されたのか? ゲームメー カーにおける広報部署の誕生、広報戦略の成功事例の歴史な どを、ゲストの証言を元に明らかにしていきます。
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ゲストご紹介:高橋宏之さん 株式会社キャメロット代表取締役社長 ?1957年生まれ。1979年、日本大学芸術学部卒 ?1987年、エニックス入社。「ドラゴンクエストIII」~「ドラゴンクエストIV」まで の広報?宣伝および開発業務に携わる。(退社後も「ドラゴンクエストV」の企画に 参加) ?1990年、クライマックスを設立。メガドライブ用RPG「シャイニング&ザ?ダクネ ス」(セガ?エンタープライゼス:1991年)のなど企画を手掛ける ?1991年、セガ?エンタープライゼスと共同でソニックを設立、広報業務も担当 ?1994年、株式会社キャメロットを設立し、1997年より現職。同社での主な開発タイ トルは「みんなのGOLF」「マリオゴルフ」「マリオテニス」シリーズなどがある
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前史:エニックス入社前のお仕事 ?父親の経営する会社を手伝ったり、会社を畳む 経験もしていた ?その後、ヴィクトリアに入社。新規事業の立ち 上げ、人事など、ありとあらゆる業務を担当 POINT:他業種で得た仕事の経験がバックボーンになった
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前史2:ゲーム(ファミコン)との出会い ? 1984~85年頃にファミリーコンピュータを購入 ? 約100本のソフトを購入、「スーパーマリオブラザーズ」などに熱中 これからはコンピューターの時代になると思っていたが、そこに 関わるための入り口が当時はまだわからなかった。 しかし……、 「ドラゴンクエスト」には、 “未来”を感じた!(高橋さん談)
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そしてエニックスへ… エニックス入社(1987年10月~):約2年半勤務。 (入社のきっかけ) 読売新聞の土曜版に載っていた一面広告を見て応募。 福嶋社長から、「プロデューサーをやって」と言われた! <ちなみに…当時のエニックスが発売したファミコンソフト> ?「ドラゴンクエストII」:1987年1月26日発売 ?「ドラゴンクエストIII」:1988年2月10日発売 ?「ドラゴンクエストIV」:1990年2月11日発売 ←つまり「ドラクエ」だけ!
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高橋さんがエニックス入社当時の状況 ?人員体制 社員はわずか9人! 広報担当部署は存在しなかった!! ?メディアの取材対応 ゲーム雑誌の編集スタッフが、「ドラクエIII」の記事を掲せ る際に、その都度プレイ取材?撮影のため来社していた。 まず最初に、「週刊少年ジャンプ」のファミコン神拳(袋と じ企画)での掲載ネタを決めてから、それと同じ場面を社員が プレイしつつ説明しながら撮影させていた。取材用の撮影場所 は社内に用意しておいたが、汎用のアセット素材はなかった。
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高橋さんがエニックス入社当時の人員体制 ? 矢作さん:ハード系を担当 ? 曽根さん:ジャンプ系キャラゲームや、「ウイングマン」などのプロデューサー で雑誌対応も担当 ?
米田さん:高橋さんより前の「ドラクエIII」宣伝担当 ? 女性1名(プロデューサー系の業務担当) ? 高橋さん ※事務?雑務はアルバイト。営業会社のコニカエニックスが、実質的に経理を担当 ? 千田常務:SEから転身。 ? 望月課長:ソフトのプログラムサポート担当 ? 福嶋社長 ? 高野専務:「ジーザス」「ガン ダーラ」のプロデューサー
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エニックスがマスコミ取材に応じるまでの経緯 ?当初、エニックスではマスコミの取材をすべて拒否していた →福嶋社長(当時)の方針。:「マスコミは敵だ!」 ?その後、高橋さんが福嶋社長をマスコミに会わせる大英断を実行 →さらに堀井雄二、中村光一両氏のインタビュー対応も担当するようになった。 ?高橋さん自らも、テレビ屋さんにゲームの魅力を説明! 「『ドラクエ』に未来を感じた! ゲームで感性が豊かになる!!」 →やがてマスコミでも報道されるようになった結果、「ドラクエIII」発売日の大行 列へとつながる、大きな宣伝ができた →これを機に、高橋さんは「『ドラクエ』の開発スタッフに入れば?」と言われる
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「週刊少年ジャンプ」とのタイアップ 当時の「週刊少年ジャンプ」には、ファミコン情報が当たり前に掲載され、 「ドラゴンクエスト」シリーズの情報は常に先出ししていた。 <参考:集英社発行「ドラクエ」シリーズ攻略本の発行部数> 「ファミコン神拳奥義大全書ドラクエII」:シリーズ累計241万部 「ファミコン神拳奥義大全書ドラクエIII」:シリーズ累計380万部 それはなぜか? →元々「ドラクエ」の開発は、ジャンプの編集スタッフによって始めたから。 ?「ドラクエIII」は、袋とじで第一報が独占スクープされた(1987年37号) ?エニックスがユーザーに発送していたDMとも連動させていた
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ご参考:「ファミコン神拳」 出典 「ファミコン神拳奥義!!!」 (2016、集英社)
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ご参考:エニックスが送っていたDM 新着情報が載る「ジャンプ」の発売日が書いてあった!
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通称「ドラクエ課」が登場 元々は、「ドラクエ」関連商品のマーチャンダイジングを目的 に設置した部署で、「ドラクエIV」の開発中に誕生。 ? 広報担当は、最初は高橋さん1人だけしかいなかった。しかも退社する まで、ずっと他の広報スタッフを雇わなかった! ? プレス向けの資料は、「ドラクエIII」のときに「広報資料を作ろう か?」と曽根さんが提案したのが始まり。以後「ドラクエIV」でも高橋 さんが広報を担当することに (ちなみに…) 鳥山明氏のイラストは、ジャンプと自社広告でのみ使用OKだった。
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ゲーム雑誌への公開情報をコントロール ? ゲーム雑誌で情報公開できる範囲は、高橋さんが決めていた →「ドラクエIV」では、高橋さんは企画も担当しており、ゲーム内容も わかっていたので、まずは「ジャンプ」への袋とじ掲載ネタを、他のス タッフとのミーティングによって決めていた。 ? ファミコン専門誌の裏技コーナーも、高橋さんが事前にチェック 「ドラクエIII」時代には、「バグ技を掲載したい」と、大手4誌の編 集長から連名でお願いされたことも……。 →堀井雄二氏から「止めてほしい」と言われ、高橋さんと福嶋社長の説 得によって掲載をストップさせた(※堀井氏は、ゲームバランスを損ね るようなバグ技は嫌っていたため)。
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「ドラクエ」シリーズの広報対応が与えた影響 (その影響で…) 結果的に、各メーカーがみんな追随、同じように情報をコン トロールするようになってしまった。 エニックス(=高橋さん)による公開情報のコントロール? 広報対応が、やがて業界内で有名になった(と、あるとき雑 誌社の方から教えてもらった)。 →実は、スクウェアがそのノウハウを参考にして「ファイナ ルファンタジーIII」(1990年4月27日発売)のときに大成功を 収めた!
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クライマックス時代:またも「週刊少年 ジャンプ」とのタイアップで成功 ? 「シャイダク」の成功のお蔭で、次の「シャイニング?フォース」(1992年3月20日 発売)でも「ジャンプ」に記事を載せられ、ハードの売り上げにも貢献した! ? さらに「ファミ通」でも、「シャイニング?フォース」が12週連続で特集記事が掲 載された! 「ドラクエIV」で覚えた手法を元に、「シャイニング&ザ?ダクネス」(メガドライ ブ:1991年3月29日発売)の新着情報を「ジャンプ」に掲載。 ?
掲載するネタを先に2~3か月分考え、それを踏まえた内容をゲームデザインに落と し込んでいた ? さらに読者の反応?評判を調べた結果も、ゲーム内容に落とし込んでいた →発売日に、お店に行列ができた!(セガハード用ソフトでは初の快挙)
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セガ?エンタープライゼス時代:現在の セガの広報体制の原型を提案 セガ?エンタープライゼス顧問時代、中山隼雄社長に広報体制作りの 提案を高橋さんが行っていた。 ※広報担当部署はあったが、宣伝担当は2名ほどしかいなかった。そこで……、 ? 「任天堂はマリオを作ったし、セガでも作ってみては?」と高橋さんが提案 →実は当時、「ソニック?ザ?ヘッジホッグ」を開発中だったことが判明! →これが後に、株式会社ソニックの設立につながった。 ? 「任天堂の宮本茂さんみたいな、スタークリエイターをセガでも出そう!」 →鈴木裕さん(「ハングオン」「アウトラン」などを開発)を最初に推した。
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ご参考:当時の開発者インタビュー記事 出典 「BEEP!メガドライブ」 (1994年1月号:ソフトバンク)
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提言:高橋さんの考える、ゲームメーカー 広報の仕事とは? <高橋さんの金言> 「リリースするネタを作るのが、 広報?宣伝の仕事である。」
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まとめ ?「ドラクエ」シリーズ初期の時代はエニックスに限らず、メーカーに広報担当部署 そのものが存在しなかった ?エニックスがマスコミ?メディアの取材に応じるようになったのは、高橋さんが福 嶋社長を説得したのがきかっけになった ?「週刊少年ジャンプ」で「ドラクエ」シリーズの情報を独占?先出し掲載していた のは、そもそも開発スタッフが同誌の編集スタッフだったから ?高橋さんによるメディア対応、情報コントロールの方法が、「FF」シリーズのスク ウェアをはじめ、各メーカーにも影響を与えた ?「ドラクエ」シリーズで身に着けた、「週刊少年ジャンプ」への記事掲載~読者反 応を開発に落とし込む技法を、「シャイニング」シリーズでも同様に行っていた ?現在のセガの広報体制は、高橋さんがソニック時代に提案したものが原型
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ゲームメディアSIG:関連リンク(再掲) ?DiGRA JAPANの狠狠撸 Share /DiGRA_JAPAN/presentat ions ?YouTubeのDiGRA
JAPAN CHANNEL https://www.youtube.com/user/digrajapan ?Facebookコミュニティ https://www.facebook.com/digrajapan.gamemedia
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