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多民族国家ベトナムの
多様な文化
於?東京造形大学
Ngày 29, Tháng 6, N?m 2022
臼井淳一
ベトナムの形
南北に細長く広がっており、中国、
ラオス、カンボジアと隣接する
? 北部の広いところは北海道と
同じくらいの面積
? 中部の一番細いところは横に
50kmくらい(中部)
? 中部の西側は中部高原と呼ば
れることもある
? 南部の広いところはメコンと
呼ばれることもあり、九州と
同じくらいの面積
ベトナムの主な都市名
? 北部
– ハノイ
– ハイフォン
– ハロン
– ディエンビエン
– サパ
? 中部
– フエ
– ダナン
– ホイアン
? 南部
– ダラット
– ホーチミン(サイゴン)
– カントー
ベトナムの文化研究の方向性
? ベトナム内には、54の民族がいる
? 中心になっているのはベト人(越人?京族)であり、全国の平地部を占める。
都市部での経済の担い手でもあるようだ。
– ベト人は北部から南部に向かっていき、進出先の文化と融合した独特の地方文化を各
地で作り上げた
– 大雑把に分けると北部系?中部系?南部系となるが、言語の発音だけでなく、衣装や音
楽、食べ物もだいぶ変化する
? なお、ベトナムの民俗学では、言語グループに分けるアプローチが主流
– Sino-Tibetan系
– H’mong – Dao系
– Thai - Kadai系
– Malay - Polinesia系
– Austroasiatic系(モン?クメール系)
? 次ページからは、著者のチョイスにより、各地域?民族の建築?音楽?衣装
などの文化的要素を横断的に紹介する。
ハノイ
建築
北部
文廟と呼ばれる建造物で1070年建築。ベトナム最初の大学でもあった。
ハノイ
言語
北部
かつては漢字が使われていたが(チューノム)、現在はローマ字が使われている。
ハノイ
楽器
北部
形状は中国の影響が顕著だが、演奏法が大きく異なる。楽器屋や楽器職人の家より。
ハノイ
衣装
北部
伝統衣装としてはアオザイが有名だが、今の形になるまでに変遷があった。
下段はシャーマン芸能の衣装(写真:ベトナム女性博物館より)
モン族
衣装
北部
モン族(H’mong)は、衣装の色にちなんだサブグループ名で呼ばれる。Flower H’mong, Black H’mong,
Red H’mong...など。元は中国南部に居住したが、漢民族に押されて北ベトナムに流入した。
モン族
音楽
北部
笙は舞と共に演奏される。加えて、笙の一管だけを笛にした楽器もある。これらは祖先の神棚に普
段は飾られ、外から来た者が触るのは禁じられている。
着眼点{笙と踊り}
日本の雅楽に登場する笙
の親戚にあたる楽器が北
ベトナムには点在する。
モン族の笙の場合、死者
の魂を送るために、葬式
にて、踊りと一緒に演奏
される。
雲南でも踊りと笙がセッ
トであることが多い。
https://youtu.be/Cvl9t6
vxe04?t=260
3Hmoob VH
タイ系
衣装
北部
タイ系言語話者は、女性がカットソーの伝統衣装を着ている。こちらも、服の色にちなんだサブグ
ループに分かれ、文字を持っている場合もある。
タイ系
衣料
北部
タイ系グループは衣料の文化が豊かである。担い手は女性で、一家に一台手織り機があるように
見受けられる。これらはただの衣料に限らず、祖先の霊が下りてくる依り代とも考えられる。
タイ系
シャーマニズム
北部
Nguyen Phap Binh
タイ系言語グループは、自分たちのシャーマニズムを維持していることが多い。
中国国境側へ行くと経文は漢字で表記されている。
着眼点{歌垣}
北ベトナムでは、求愛や求
婚の手段としての歌垣がま
だ残っている。
ここでの歌垣とは、年頃の
男女が集まり、愛しい相手
に、愛の感情を即興で歌う
ことである。
他にも、夜這い、花嫁誘拐
などの風俗が残っている。
https://youtu.be/AZsadL--
x98?t=1143
Nghe An TV
着眼点{お歯黒}
北ベトナムの少数民で
も、ラオ系の女性に見
つかる。
歯を黒く塗るとは文明
的な行為であり、白い
ままでいるのは犬と同
じなので、恥ずかしい
らしい。
昔のベト人もお歯黒を
していたという説もあ
る。
VNA Publishing house
フエ
建築
中部
1800年よりあった王朝の宮廷建築が現存しているものの、戦争と経年による劣化も多い。
フエ
建築
中部
王朝時代の皇帝の墓。フランスの影響を受けた宝石細工が豪華に使われている。
フエ
衣装
中部
王朝文化の衣装と音楽が残っている。
フエ
言語
中部
フエの王朝(阮朝)の記録は漢字でされている。
ホイアン
建築
中部
明が滅びた時に、大量の役人などがこの地に移住し、中国南部の影響を受けた建築を残した。
貿易港として栄え、朱印船も来航しており、日本人街があった(今でも「日本橋」建築がある)
ちなみに、その過去にはチャンパ王国の港町だった。
着眼点{チャンパ王国(林邑)}
現在のベトナム中部にて、
2世紀から19世紀にかけて実
在した王国。
インドと中国の交易の中継地
として栄え、建築?衣装とも
に独特の文化を現在に残して
いる。
奈良の唐招提寺の大仏の開眼
供養に、林邑の僧が参列し、
音楽と舞踊を奉納した記録が
あるが、不明点も多い。
現存するチャム文化とどのよ
うなつながりがあるのか、ま
だまだ謎に包まれている。
Wikipedia
チャンパ
衣装
中部
チャンパ
衣装
中部
チャンパ
衣料
中部
チャンパ
建築
中部
ニャチャンのPo Nagar寺(781年建築)
チャンパ
建築
中部
ニントゥアンのPo Klong Garai寺(1151年建築)
チャンパ
美術
中部
チャンパの各寺院で展示されていた彫刻。ヒンドゥー教や仏教をモチーフにしたものが多
い。ダナンのチャム彫刻美術館で閲覧可能。
チャンパ
言語
中部
チャンパ
音楽
中部
チャルメラと太鼓からなるアンサンブルは、ベトナム内でチャム族だけである。
音楽的には、対岸のインドネシアやマレーシアに近い。
先住民
衣装
中部
部族ごとに別々の模様があるが、素材は麻だったはず。通気性に高く、乾きやすい。
先住民
音楽
中部
竹やひょうたんなどの天然素材を使った楽器が多い。笙も見られる。
また、部族や村ごとにゴング音楽があり、ユネスコに文化遺産として認定されている。
先住民
建築
中部
大きな家屋に親族ごと住んでいる。高床式になっているのは、天候対策?野獣対策などと
言われる。
越人
南部
音楽
南部の越人においては、北部と同様の形状の楽器が演奏されるが、演奏曲は異なる。
また、ギターフィムロムやスライドギターなど南部で発達した楽器もある。
クメール系
建築
南部
クメール系民族の国家はカンボジアだが、ベトナム南部にもクメール系住民は存在し、
クメール様式の仏教寺を中心にコミュニティを作っている。
クメール系
音楽
南部
パーカッションから弦楽器まで、クメールは各種各様の楽器を古代から持っており、
アンコールワットの壁画にも演奏の様子が描かれている。
クメール系
言語
南部
クメール文字という、東南アジアでも歴史の古い文字を使っている。
数字を数えるとき, 5を単位で数える。
着眼点{過去の地図}
1540年の地図
900年ころの地図
ともにWikipedia
おわり
instagram, @junichiusui
youtube, https://www.youtube.com/c/junusui/

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