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特集 社会と人工知能
仮想化する社会
篠田孝祐(電気通信大学)
昨年度は、映画「Transcendence1」「Her2」
を始めとし、アニメ?ゲーム?映画など様々
なメディアで『人工知能』という言葉を目に
する機会があった。本特集の他の記事でも
同様の話題は触れられているだろうから細
かくは触れないが、『人工知能』が私たちの
生活の中で改めて形を持ち始めた証左では
ないかと思う。
これら架空の物語として描かれる人工知
能の姿は、その多くが私たちを支援するた
めに存在するかのように描かれている。時
には、知的活動を拡張する「Augmented
Intelligence」として、または、人類の知性
を超えるものであったりするが、いずれに
しても人間の存在を前提としてのみ存在が
許されているようかのようだ。『人工』の知
能なのだから、人間がいるのは当たり前と
いえばそうなのかもしれない。ただ、不思議
なのは、それら『人工知能』が創造的活動を
行い、独自に社会を形成する姿が描かれる
ことはほとんどない。それは、単に私自身が
知らないだけかもしれないが、それこそが
人間だからこそ可能な能力だと信じられて
いるのかもしれない、と思えてくる。
その一方で、人工知能が社会のデザインに
強く影響を与えることを示唆する作品も
多々ある。古くは、「Gattaca3」 のように遺
伝子から不適応者の判別を行うシステムの
1 2014 年のウォーリー?フィスター監督
の SF スリラー映画
2 2013 年のスパイク?ジョーンズ監督?
脚本の SF 恋愛映画
ような決定的判断を行うシステムとして描
か れ る こ と が 多 い 。 そ れ に 対 し て
「PSYCHO-PASS サイコパス4」では『(人
としての)価値を数値化する』システムとし
て描かれている。これらに共通することは、
技術が価値を定めることで、社会のデザイ
ンに強い影響を与えていることである。
だが、そもそも技術は社会のデザインに影
響を与えている。火を手に入れることで食
事の幅を広げ、農耕により安定した食を確
保して人口を増やし、明かりを手に入れた
ことで昼夜を問わず活動できるようし、車
や飛行機は人の移動を容易とした。これら
を含めて既存の技術と人工知能との違いと
はなんだろうか?その違いとは、既存の技
術がモノを通して価値を示すのに対して、
人工知能がコトを通して価値を規定するこ
とではないかと考えている。これまでの技
術が、私たちと世界との物理的なつながり
(インタフェース)を提供してきた。対して、
人工知能は、情報ひいては価値(観)のインタ
フェースを提供する存在になっていないだ
ろうか。現実に、情報の価値は google を始
めさまざまなWeb サービスによって規定さ
れ、競争淘汰が行われている。
このような視点から、人工知能の将来の姿
を考えると、それは規定した価値を普遍化
することで、社会を『仮想化』していくかで
3 1997 年のアンドリュー?ニコル監督の
SF 映画。
4 Production I.G 制作の TV?映画アニメ
ーション
はないかと思う。『仮想化』というと言葉か
らイメージするのは、映画「Matrix」や「楽
園追放-Expelled from Paradise-5」のよう
に人間が身体と決別した世界をイメージす
るかもしれない。そこまでではなくても、私
たちの生活はすでに、ある意味『仮想化』さ
れている。私たちが生きるためあらゆるこ
とを行う必要はなく、衣食住を得る仕組み
が整えられ、誰もが場所を移しても『ヒトと
して生きていく』空間を享受できるインタ
フェースが整えられている。これは、生活に
関して『仮想化』されているといえないだろ
うか。ひいては、『ヒトとしての生活』とは
こういうものだと価値観をベースとして技
術は『仮想化』された生活のモデルを提供し
ているといえる。人工知能は、その上に、社
会を仮想化させていく技術だと考えている。
先に上げた映画?アニメに関わらず『人工
知能』とは、人間以外の知的生命(例えばア
ンドロイド)と対比することで人間らしさ
とは何であるのかという存在意義を問うも
のが多い。例えば、「イブの時間6」では、ロ
ボットが当たり前である世界。ロボットに
精神的に依存する人を「ドリ系」と呼び侮蔑
する風潮のなかで、人間と変わらぬ振る舞
いをするロボットとの交流を通して人間と
ロボットの違いがあるのかを描こうとして
いる。その物語のなかで、主人公である高校
生のリクオは、自分の家族ひいては『社会』
にロボットが存在することを当たり前のこ
ととして受け入れていく。それは必ずしも
家族と同等ではないかもしれないが、ロボ
ットというインタフェースを含めて家族を
構成され、彼の生活は『仮想化』されている
5 2014 年の水島精二監督の SF アニメーシ
ョン映画
といえる。
リクオの物語である「イブの時間」では、
それは個人の住む社会が中心であったが、
将来的に人工知能がサービスとして提供さ
れていくのであれば、おそらく社会に広く
提供されていくと考えられる。古くは宗教
が生命に対する価値を与えたように、現代
では Google が検索サービスとして情報に
対する価値に順序を与えているように、ヒ
トの価値観を規定し、それを満たすような
サービスとなっていくのではないかと思わ
れる。
人工知能が創造する価値とはなにかを具体
的に考えてみると、それは、正しさ、楽しさ、
悲しみ、美しさ、あたりだろうか?それを満
たすように、ヒトの『社会』が構築されるよう
になるのではないだろうか。それが私たちの
可能性をより引き出すものとなるのか、それ
とも私たちが見えない檻の中に閉じ込められ
てしまうことになるのかわからないが、社会
が平等を望めば可能となるかもしれない。例
えば、汎用人工知能研究会のなかでの議論で、
その応用例の一つとして、「虐められ役」を人
工知能がこなすのはどうかというものがあっ
たが、これは『虐められるのはつらい』という
価値観が起点となっている。これを含め、社
会が仮想化されることで、それぞれの個人が
望むように社会が構築できる世界がきたとき、
私たちはそれに気が付けるのだろうか?
6 2008 年の吉浦康裕演出、原作、脚本、
監督のアニメーション映画

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